私的リトリートin 石垣島
於茂登岳に雲がかかる時、神様ミーティング中だとかだとか。
13日から18日まで、
私的リトリートin 石垣に行って参りました。
先日の4月開催したカラダマニアin 石垣で出逢った新たな方達とより深く繋がって学び受取って参りました。
この世の中には目に見える事、見えない事と大きくざっくり分ける事ができます。
目に見えたら人はすんなり受け入れる事が出来ます。
目に見えない事はどうも納得いかなかったりします。
なので研究、解明、分析が始まっていきます。
解剖学は昔は禁忌とされていた事。
そして現在ではITの発展も伴ってより多くの可視化が可能となりました。
でも目に見えるから頭で納得して終わり。
となりがち。
行動して肚(はら)に落ちないとそれはただの頭デッカチの耳年増になりがち。
手に入れた新しい知識、今の自分にはどう合うか、それは自分しかわかりませんよね。
そこで生まれる選択肢。
要る?要らない??
からの、これって何?
知識=情報は過去のもの。
今、この瞬間の私にフィットするには??
と拡がって行きますね。
でもって、エネルギー。
要は氣。
大地や海、空、人、動物、植物、食べ物と全ての生命から溢れている氣。
目に見えないけど体感出来る不思議なあいつ。
でも目に見えないから敏感過ぎると少し困っちゃうなんてことも。
昨今のスピリチュアルブーム。
直訳すれば精神世界なのですが、神って入っちゃってるものだから、異様に神格化し過ぎたり、聖なるものとしちゃったり。
なんだか高尚過ぎて、今の現代社会と自分の生活圏内の話じゃない様に感じちゃうから、人によっては拒絶反応起こしたりします。
こちらも目に見えないからこそ探求します。
じゃあ目に見えないならどうしていけばいい??
その前に自分をまず知る事。
今、自分はどんな状況なのか。
どんな具合なのか。
どう感じるのか。
全ての五感を研ぎ澄ませて自分を知ること。
ってこれは実は自分が何を知っているか。
それが氣の探求の旅に出る地図だと私は思います。
叡智という言葉があります。
物事の本質を見通して考えることができる、優れた知恵を表すとなってますが、
本質を見通す。
実は私達はこの叡智最初から持っていますが、色々速い現代社会に揉まれて煮えて、なんだったら傷ついちゃったりで叡智発動中でもわからなかったり。
なので叡智もほなら、、、忙しそうやし、、、俺、寝とくわ。
って事で眠ってたりします。
勿体無いですよね。
折角知ってるのに。
って事で叡智と知識。
西洋医学と東洋医学。
陰と陽。
親と子。
男と女。
対極過ぎるけど隣り合わせで近過ぎて氣付なかったよね。
そんなことを沢山学びに学んだ私的リトリートでした。
緑と私。見てない様で見てるぞ、笑。
0コメント